『むち打ち症』という言葉は1928年に初めて使われました。ケベックタスクフォース(QTF)によるむち打ち症は、「主に自動車事故において後方もしくは横から追突されることによって生じる骨または軟部組織の傷害であり、急激な加減速メカニズムによって頚部に負荷が加わることによって生じる」と定義されています(Spitzer WO, 1995, http://bit.ly/2JcevLH)。
むち打ち症の主訴は頚部痛ですが、頭痛や吐き気、重度の肩こり、上肢への関連痛などが伴うこともあります。
症状
もっとも一般的な症状は、頚部の痛みやこわばり感、頭痛、めまい、頭頚部の可動域制限などです。
これらのむち打ち症に関連する症状はWAD(whiplash-associated disorders)と呼ばれており、QTFによって症状の程度に応じてレベル分けがされています(表1)。
グレード | 分類 |
0 | 頚部に主訴はなし、身体的兆候はなし |
Ⅰ | 頚部の痛みや硬さ、圧痛のみ、身体的兆候はなし |
Ⅱ | 頚部の痛みと筋骨格系障害、関節可動域の制限と圧痛 |
Ⅲ | 頚部痛と神経系起因の痛み、深部腱反射の低下または消失、筋力低下や知覚鈍麻 |
Ⅳ | 頚部の痛み、骨折、脱臼 |
表1 ケベックタスクフォースによるむち打ち症のグレード分類
数週間内に症状の寛解が認められるケースもありますが、受傷から1年経過後も症状を訴えるケースも見受けられます。
症状の慢性化により、不安やうつなどの精神的な症状を訴える患者が増えてきます。また胃腸障害や不整脈、呼吸困難、睡眠障害などの自律神経系の症状を訴える場合もあります。
一般的に症状の慢性化が進むにつれて、改善が難しくなっていきます。これを説明する仮説の一つに『想起バイアス仮説(Recall bias hypothesis)』があります。
不安症傾向のある患者は、症状の改善がなかなか見られないことに対してネガティブに反応してしまうという仮説です。
頚部痛
首の痛みやこわばり感はむち打ち症の典型的な症状の一つです。Deansらによると、65%の患者が受傷後6時間以内に頚部痛を訴え、24時間以内ではその割合が93%、さらに72時間以内では100%になります。(G. T. Deans, 1987, http://bit.ly/2N6t0Da)。
このように、むち打ち症では、受傷直後ではなく、受傷から数時間後(場合によっては数日から数週間後)に症状を訴えるケースが一般的です。
これは椎間関節の滑膜炎によるものと思われます(K. Endo, Whiplash injury handbook, 2006)。
頭頚部の急激な過伸展/過屈曲により、椎間関節を包んでいる滑膜が損傷します。受傷から数時間後に滑膜の炎症(滑膜炎)が生じ、頚部の痛みや可動域制限を引き起こします。
頭痛
頭痛は慢性症状の患者の70%に認められる症状です(M. Benoist, 2002, http://bit.ly/2KMAlLv)。
むち打ち症の受傷後に現れる頭痛は、頚性頭痛と思われます。国際頭痛学会によると、頚性頭痛とは「頚椎の障害に起因する頭痛」と定義されています。
一般的に頚椎の動きにより症状の増悪が認められ、痛みは後頭部に局在しています。頚性頭痛の原因の一つに上部頚神経根(C1~C3)の絞扼障害があります。
後頭下筋群の拘縮や上部頚椎のサブラクセーションは、直接的に上部頚椎神経根に影響を及ぼします。
めまい
頚椎に起因するめまいは頚性めまいと呼ばれています。頚性めまいは椎骨動脈の血流障害、頚椎の固有受容感覚障害、頚部交感神経障害(バレー・リュー 症候群)などが原因になります。
バレー・リュー 症候群
頚部の傷害による頚部交感神経系障害が原因です。また、椎骨動脈に血流障害が生じていることもあります。
主な症状には、頚部痛や頭痛、めまい、耳鳴りなどがあります。
吐き気
むち打ち症患者の17%から29%に認められる症状です。吐き気を訴える患者のほぼ全てが頚部痛も訴えます。
また33%の患者は吐き気の症状が6か月以上継続したとの報告もあります(K. Endo, Whiplash injury handbook, 2006)。
原因
後方から車に衝突されたとき、その衝撃はシートから身体へと伝達されます。その際、身体は前方へ急激に加速するため、頭頚部には伸展方向の負荷がかかります(過伸展傷害)。
頭頚部の過伸展により後頭部がシート(もしくはヘッドレスト)に衝突します。その反動と前頚部にある筋肉(胸鎖乳突筋など)の反射により、今度は急激に頭頚部の屈曲が起こります(過屈曲傷害)(図1)。
図1 むち打ち傷害のメカニズム 後方から車が衝突することで、シートが前方へ押されるために頭頚部の過伸展が生じる。次にその反動で過屈曲が起こる。
むち打ち傷害では、このように頭頚部に急激な過伸展・過屈曲の負荷がかかります。それに伴い、靱帯や関節包、または筋肉などが損傷します。
頭頚部の過伸展・過屈曲傷害では、C4~C6椎骨に大きな負荷がかかる傾向があります。過伸展ではC4~C5、過屈曲ではC5~C6への負荷が最も大きくなります(R Jackson, The Cervical Syndrome, 1977)。
筋肉
Scottらによると、「むち打ち傷害後、慢性期における頚部の筋肉細胞に損傷は認められなかった。従って、慢性的な頚部痛は筋肉の損傷によるものではない可能性がある」と報告されています(Scott S, 2002, http://bit.ly/2L33HES)。
傷害により筋肉線維には損傷が起こります。その後、組織の線維化(変性)が起こり、周辺組織に癒着が広がります。
この時期では筋肉細胞の損傷は治癒していますが、線維化による癒着が残されている場合、それが痛みとして自覚されることがあります。
関節包
椎間関節は滑膜性関節に分類されています。深層部は滑膜、その外側は関節包靭帯によって覆われています(図2)。
図2 椎間関節の構造
関節包の損傷はMRIなどの画像検査では検知できません。しかし、多くのケースにおいて神経ブロック注射により症状改善が認められることから、慢性化したケースでは関節包が何らかの痛みの原因構造と考えられます(Ketroser DB, 2000, http://bit.ly/2upYywg)。
複数の研究報告によると、頚椎の椎間関節とそれを包んでいる関節包は、むち打ち症において最も影響を受ける構造であることが示唆されています。
受傷後に生じる関節包の変性は、関節包の拘縮をもたらします。また関節包には機械受容器や侵害受容器が密に存在しています。
関節包の拘縮により、これらの受容器には直接的に影響が及ぼされ、椎間関節の運動機能障害が引き起こされます。
従って、関節包の損傷に伴う受容器の機能異常は、慢性的な頚部痛の原因の一つであると考えられています。
脊髄
慢性的なむち打ち症患者20人を調査した研究論文によると、画像検査によって明確に脊髄損傷が見られるケースはわずかであるが、神経機能に何らかの機能的異常が認められるケースは少なからず存在すると結論付けています(Lo YL, 2007, http://bit.ly/2L6d46p)。
また慢性的なむち打ち症患者の頚部の筋肉(特に深層部筋)には変性が進行していることが多く(Abbott R, 2015, http://bit.ly/2NLL0Uo)、この筋肉の変性は脊髄の機能低下に起因する可能性があると考えられています(Smith AC, 2015, http://bit.ly/2mbE8mW)。
つまり、脊髄の機能低下が慢性的なむち打ち症の原因になっていると思われます。
椎間板
むち打ち症における椎間板損傷の好発部位は線維輪前部です。このことは、検体による検証によっても明らかになっています(Clemens HJ, Society of Automotive Engineers, 1972)。線維輪前部の損傷は、頚椎の過伸展によって生じるケースが多いと思われます。
検査
可動域検査
頭頚部の可動域検査(屈曲/伸展、側屈、回旋)を行います。急性期は全可動域に強い可動域制限と動作痛が現れます。
また慢性期には特定の方向に可動域制限が現れることが多いですが、その結果から問題部位をある程度推察することが可能になります(回旋制限が強い場合は上部頚椎、側屈制限が強い場合は下部頚椎など)。
整形外科的検査
整形外科的検査は主に頚椎神経根への影響を調べるために行います。スパーリングテスト、椎間孔圧迫テスト、ジャクソンテストなどがあります。
検査法 | 方法 | 陽性反応 |
スパーリングテスト | 患者は座位検査者は患者の後方に立つ患者の頭部を患側に側屈させ、さらに伸展させた状態を維持したまま圧迫する | 上肢関連痛の増悪、頚部の局所的な痛み |
椎間孔圧迫テスト | 患者は座位検査者は患者の後方に立つ患者の頭部を圧迫する頭部回旋位において同様に圧迫する | 上肢関連痛の増悪、頚部の局所的な痛み |
ジャクソンテスト | 患者は座位検査者は患者の後方に立つ患者の頭部を伸展させる患者の頭部を圧迫する | 上肢関連痛の増悪、頚部の局所的な痛み |
触診検査
急性期では炎症サイン(熱感、腫脹、発赤、疼痛)を配慮しながら触診を行います。また慢性期では、筋肉(腱)、靱帯、神経、椎間関節の圧痛と硬結を触診によって探します。
頚部は密な構造になっているため、より精度の高い触診技術が必要になります。むち打ち傷害によって受傷しやすい構造は以下の通りです。
筋肉(腱) | 胸鎖乳突筋、斜角筋、後頭下筋群(上頭斜筋、下頭斜筋、大後頭直筋、小後頭直筋)、頭板状筋、頚板状筋、肩甲挙筋、上部僧帽筋 |
靭帯 | 項靭帯、棘上靱帯、前縦靭帯(触診不可能)、関節包靭帯 |
神経 |
第1頚神経後枝(後頭下神経)、第2頚神経後枝(大後頭神経)、小後頭神経、第3後頭神経(C3頚神経後枝)、横隔神経、星状神経節 |
治療
軟部組織
筋肉(腱)、靱帯、神経に対して治療を行います。急性期(炎症期)においても、刺激量を調整(接触の強さ、可動域など)することで治療を行うことができます。
慢性的なむち打ち症では、特に深部にある軟部組織を中心に治療を行うと良いでしょう。
後頭下筋群(上頭斜筋、下頭斜筋、小後頭直筋、大後頭直筋)は、頭痛やめまいなどの症状の原因になります。
アジャスメント
頚椎の他動的可動域検査において強い疼痛がない場合、アジャスメントによって可動域の改善を目指します。
また慢性的なむち打ち症のケースにおいて、動作痛がある場合、軟部組織の治療後にアジャスメントをおこなうようにします。
関連動画
関連記事
上位交差性症候群では、上半身の前後筋肉のバランスに問題が生じています。
原因 上位交差性症候群では、上半身の前後筋肉のバランスに問題が生じています(下図)。 頚部屈筋群には、胸鎖乳突筋や斜角筋があります。また後頭下筋群には、上頭斜筋、下頭斜筋、大後頭直筋、小後[…]
胸郭出口症候群の主症状には、上肢の痛み、痺れ、感覚鈍麻などがあります。腕神経叢が影響を受けている場合、C8/T1脊髄神経の絞扼が好発します。その場合、上肢内側に知覚異常が現れます。
胸郭出口症候群は腕神経叢や鎖骨下動静脈の絞扼症候群です。頚部から肩にかけての領域で絞扼されることで、上肢の痛みや痺れ、感覚鈍麻などの症状を引き起こします。 こちらがLindgrenらによる胸郭出口症候群の定義です。 上肢に痛み、感覚[…]
本記事では慢性疲労症候群について、その発生機序(メカニズム)から原因、特徴、さらに改善法まで解説していきます。
副腎疲労症候群とは? 副腎疲労症候群(Adrenal fatigue syndrome;アドレナルファティーグシンドローム)というのは、副腎がオーバーワークになり機能低下を起こすことが原因です。 この症候群の症状の特徴は、慢性的な疲[…]
腱板断裂の痛みは肩関節の前上部に局在し、上肢の挙上に伴い鋭い痛みが現れます。また肩関節の不安定感や力が入りにくい感覚(筋力低下)を訴える場合もあります。
回旋筋腱板(ローテーターカフ)は棘上筋、棘下筋、小円筋、肩甲下筋の4つの筋肉で構成される筋群の総称です。 肩関節の安定性にとって非常に重要な役割を果たしており、これらの筋肉の機能低下は直接的に肩[…]